2014年9月21日日曜日

東京に置いてきたもの

 いよいよ東京から離れる事になって、これからの事で毎日色々調べもの等していたんですが、昨日友人が東京から遊びにきた事で、離れた土地の事について想い返してみました。

 とにかく寿司屋かなんかなんですかと言わんばかりに、向こうでの仕事は忙しかった。一年のほぼ全ての時間を仕事に費やしているのですが、それでもストレスを解消せねばと寝る時間を惜しんで飲みに行ったり、遊びに行ったりしていました。

 正直毎日意識も朦朧とした中で働いていたので、自分の仕事に対するフィードバックだったりとか、プライベートについてもまともに考えれなくなっていたのだと思います。

 そんな時に出会った友人から思いがけない事を聞いて、はっとする。
 
 自分は人を大切に思っていたのだろうかとか、どういうつもりでその発言をしていたのだろうかとか、今思い出しても感覚的に話していたのだろうというところばかり。
 具体的に相手の事を想った事なんてなかったように思う。反面、誰かがした事に対して本気で怒る事や、自分の意見を伝える事もなかったのかもしれない。

 割と生真面目と呼ばれる方でなんでもちゃんとやりたいって思っているんですが、だからこそこれまでいろんな事を赦す事が出来なかった。でも、赦すことが大切に感じてもいて、今日はなんだか答えが出ないまま終わりそうです。
 

2014年9月19日金曜日

幼い頃の記憶と性格と性質について

 ベッカライ・ビオブロートのパンを読んで日本にも変わった人がいるのだなぁとつくづく思うわけなのですが、著者松崎太さんの優れているところとは、自身についてとても分析的で自分が好きな事や志向性をよく自覚しているところだと思いました。
 
 若い頃って何が出来るのか何をやりたいのかぼんやりしすぎていて、ひょっとしたらこんな事も出来てしまうのではないかと思ってみたり、無理な事をやったりするんだけど、果てしなく働いたり、その環境に居る人達とご飯に行って会話をする機会を設けて早く一人前になろうとするんだけど、私の場合、自分のやりたい事って自分が一番よくわかっていたような気がします。

 思春期を迎える前の自分はそれがよくわかっていて自分に合った将来を夢見ていた気もするんですけど、でもいつのまにか目の前にある課題をクリアしなきゃいけないとか、世の中の果てがどこにあるのか自分を否定しなければ新しいものが見えて来ないとか色々な事を考えているうちにどんどん居心地の悪い状況に知らない間に自分が置かれてしまっていて、誰かがストップをかけてくれない限りどうにもならずに進んで行った。。。そんなところが今の自分にはあるような気がします。

 だいぶ昔友人が突然消防自動車にひかれた事があって、仕事を辞める辞めると言っていたのに全然辞めないから強制終了を神様がかけたって冗談で言っていた事があったけど、本当にそんな感じだと思いました。
 
 これからどうなるか、どうするかもまだ検討段階ですけれど、幸せの形を探しに行こうと思います。

松崎太(著)

2014年9月16日火曜日

設計図を描く

 これからの生活について設計図をちゃんと描かないと、惰性で暮らす事になりそうだとそんな事をうっすら思いつつ、この日記を書いています。

 元来飽き症で目標を達成した瞬間にやる気をなくす気質をなんとかしたいのですが、そうであるならばきちんと段階を踏んだ目標を立てなくちゃと思います。

 それも中、長期的な…。

 今年が2014年なので2017年までに資格をとる→36歳。
 2018年からは東京もしくはフランスに渡り働く2020年→38歳。
 2022年開店→40歳。

で参りたいと思います。
フランス語…ああフランス語…。

2014年9月14日日曜日

映像とレクイエム

 以前知人にそこまで映像の知識と技術があるならうちで働かない?と誘われた事がありました。自分の中で決めていた事があって、それは「もう映像は趣味でしかやらない」という事でした。

 映像関係の仕事に就いていない人の「もう映像は趣味でしかやらない」理由の多くは学生時代に作った作品が終わってみるとあまりにも恥ずかしくてもうやりたくないとかですが、私には全く別の理由がありました。

 正直映像を作っていた頃の自分は、ちっとも楽しくなかった、んです。他の人に言うと意外と思われるかもしれませんが、(なぜなら誰よりも映像に取り組んでいたから)でも、ある目標を達成する為だったんです。

 その目標とは、世界大会で賞をとる事。そして、とれた。とれて嬉しかったというよりは、やっと終わるという想いだったと思います。終わるのは、死について考える日々が。
 
 今になって思えば私が作ろうとしていたのは鎮魂歌だったんだと思います。今日、素敵な本を読んで、それは活き活きと悦びを目指す本でした。人を幸せにするためのものに向かう、それは私には大切なキーワードだと思います。

 これからの人生、どうか自分の人生もこのようでありますように。

"人間は夢見る思いで一生の重大事を決定することが多い。仕事をはじめる動機は夢がよい。
だが、ここで慎重に考え込んでいると、機を逸して駄目になる。
思い切って果敢に行動することだ。
考えることの大切なことはその次にあらわれる。
慎重に、広く、深く仕事の当否を考え直す。
最後に、仕事の成否はただ祈るほかない。
仕事には「運」がある。
大切なことはこの順序である。
祈ることからはじめると科学的でなくなり、
行うことからはじめると現実に流され、
考えることからはじめると遂に行動しない恐れがあるからだ。
人間は夢見る思いで一生の重大事を決定することがよい。"

三つ星レストランの作り方: 史上最速でミシュラン三つ星を獲得した天才シェフの物語 

血が通う仕事とは

 なんだかおどろおどろしいタイトルになってしまいました、が、仕事をする上で何にウェイトを置いて、どうするのがベストかって事について。負けず嫌いなので、どれもきちんとやりたいと思ってしまうけれど、きちんとやってもらえるとわかると、周りからぼんぼん仕事が降り掛かってくる。。。

 このジレンマにいつも苛まれてきたわけですが、つまるところ大切なのは受ける際の事。受ける際にどれだけ周りに振り分ける事が出来るかが大切になってくると思うのですが、更なる問題としては周りに振り分けたところで周りが目的とするスペックまで合わせてくれないというところ…。

 自分の想い通りに作りたいのであれば事業規模を小さくするしかないというのが結論。大企業で多くの仕事を抱えている人に更に仕事を振り分けたところで時間の許す範囲で作るやっつけのものがあがってくるに決まっている。

 行き詰まる時は本当に全部にストップがかかってしまうんですが、それでもそれって悪い事ではないと思う。やりくり上手な人も周りにはたくさんいて話す機会も多かったけれど、仕事を振り分ける事がメインになってしまう、面白いものは生まれない。

 効率はよく、しかし時間をかけるところにはかけていくスタンスはこれからも変わる事はないと思います。でないと心を入れて仕事など出来ないとおもうから。

2014年9月12日金曜日

いい加減休みなさいとの神のお達し

 はちゃめちゃに働いた日々が遠ざかり、人のしがらみとか、業務の引き継ぎも一段落して専ら気管支炎を治す事に専念するというところに来ております。
 今日は本当に何もしなかった。読みかけの本も読みながら寝てしまったり、新しい事をする気も起きなかったので、来週こそは体調を戻してがっつり動きたいなぁと思います。

2014年9月11日木曜日

うつわが大好きな理由

 江戸切り子とバカラグラスを持ってみると、一瞬でその手触りが違うなぁって感じます。江戸切り子はザラザラと削りたての表面の感覚があるのですが、バカラグラスは滑らかで手触りがいい。
 
 自宅でのんびりお酒を飲む時にはそりゃぁ手触りのいいバカラがいいと思うのが普通なんですが、それでも江戸切り子がいいなって思う瞬間があるんです。それは、よく見てみると切り子の一つ一つのカット面が均等でないこと、職人さんが一つずつ手で線を入れているところなんかが想像出来るから。

 引出物で5000円前後の安価な価格で手に入る切り子グラスが、実際工場に行ってみると凄く手間ひまかけて作られている。熱い中、一つ一つのグラスに息を吹き込んで…息を吹き込んでいるというよりは息吹を吹き込んでいると言ったほうが正しくて、そこで命が生まれるところを何度となく目の当たりにすると、どうにもこうにもこれが好きで堪らなくなる。

 人の手が作ったものがいいって意見は安直なような気がしてしまうけれど、そういうものに囲まれて生きるのが自分は好きだと思う。

 江戸切り子、江戸硝子についてはもう一つ心に残っている事があって、ある日盛大に叱られた事がある。自分はプライドが高くて少しばかりセンスがあるともて囃された事があるものだから、他人の作ったものに対して、なんでこうなっちゃうわけ?と、平気で言ったりしたのだけれど、誰かが気持ちを込めて作ったものにそんな言い方はないだろう?って。

 その時は自分が取材した江戸硝子の内容がぞんざいな扱いを受けていたように思ったので、フグのように膨れたまま、出来上がった冊子を持って自分のデスクに戻ったんだけど、単純な怒りと同時に作った人の気持ちなんて考えられもしなかった自分に腹を立てていたのだと思う。

 「うつわ」というものは形があって、その形に何かが納まるのだけど、ぴったり入ったり居心地よく入ったり、その様が美しいのが本当に好きで自分の仕事とは全く関係のない範疇の話なのですが、いいなって思う時がある。

 いつも想い通りに物事を運びたいので、ああしてください、こうしてくださいっていろんなところにお願いして、出来た時に一発オッケーが出た時ハイタッチするのが本当に楽しい。私が扱っているのはいつも見えない「うつわ」なのだけれど、うつわと形を作る仕事をこれからも続けて行こうと思う。 

2014年9月10日水曜日

形を残す事への強いこだわりとそれを忘れるための日々

 今自分がいる位置についてなんでここにいるのかって言われるとなんだかここにいますって答えるより他にないのですが、兎にも角にも元々表現するのが大好き(?)な人だって事があり、とにかく自分の感じたものや大切なものを形に残したいという希望からずっと作品制作をしていたり、文章を書いたりしていたようです。

 ただ、それと同じくらいそれにこだわりを持っている事をコンプレックスに思っている自分もいて、もっと色々な人と話した方がいいんじゃないかとか、違う事をやった方がいいんじゃないかと平行して思ってきたんです。

 なぜなら自分の表現してきたものって心が籠っていないって思っていたから。

 ユーリノルシュテインが作品を作る時は氷の心で描きなさいと嘗ておっしゃっていましたが、写真を撮ったり、映像を作ったり、このブログのタイトルが叙事であることもそうなんですがそんなものばかり作ってきたように思います。

 でもここ数年、自分が作ったものを観ている人と喋ってみたくなったんだと思います。
美味しいスープを飲んだらほっこり笑顔になるように、冬の寒い日にブルーフレームのストーブのある風景を作ってあげたり。。。
 
 きっと形に残して自分の知らないところで鑑賞されるものより、自分も一緒になって楽しみたくなった。だから歳をとってもこんな事しているんだと思います。

若い頃は訳あって人を遠ざけて来たんですが、そうこう言いながらも
今信頼出来る人がそばにいて、これから共に歩む仲間がいる事に感謝しつつ
明日も頑張ろー(高橋風)。

カフェ巡り2日目

 最近雑誌で見つけたカフェに一日1つずつ行ってみる事にしているのですが、カフェってそもそも自分にとってはとても大切なものなんだなって思っているんです。

 予備校生の頃学校の近くにカフェがあって時々そこに友達と行きました。センスのいい曲と少し暗めの店内が心地よかった覚えがあります。後はオレグラッセ…。田舎者だったのでオレグラッセを最初に飲んだ時の衝撃と言ったらなかった。見た目が二色に分かれているし飲んだらミルクの味とコーヒーの味が夕焼けを飲んだように美味しかった。

 そんな思い出もありつつ、いいカフェってその他にどんなところがあるかなーって探しているんですが、今日行ったところで気がつきました。理由はそのカフェがすごく良かったのではなく、それまで行っていたカフェやレストランが凄くよかった事に気付いたところ。
 
 素人なりにもワイングラスの種類を多少は知っているし、飲んだ時の口当たりだったり香りだったり、店内家具の統一感だったりデザートの味だったりお皿だったりサービスだったり。。。
 
 ほんの少しの事なんだけど自分にとってはとても大切な事だったんだって気づきました。言葉ではないそれらの要素を敏感に嗅ぎ分けてその時を楽しんでいたんだなぁと。
 
 空間に対する配慮やその時を楽しむ要素がそこにはあって、その総合力をこれから培うのがとっても楽しみになりました。少なくとも土台だけはあるはずなので、これから素敵なお店を探すのが楽しみになった本日でした。

忘れないうちに…

 本当は忘れたい事なんですが、大切な事なので記録しておこうと思いまして。。。
これは自分の人生の中で何度となく訪れた事のある出来事で、起こった時にはもう自分では如何ともしようのない状態になっている事について。
 仕事やあるいは私生活の中におかれる状況によって、自分の目指すところや周りの期待するところって違ってくると思うんですけれど、例えば新人の頃は仕事を覚える事に必死。出会ったばかりの人には気に入られようと必死。みたいな目標があって、問題は馴染んだ後に自分をどう見せて行くかって所について。
 ここが器用貧乏の貧乏たる所以なのですが、割と八方美人なところがあると周囲から気に入られる、気に入られるが故にどんどんアポイントが増え収拾不可能になる。。。
相手に自分の特性がうまく伝わっていないために起こる自体なんですが、これによりパンクする事がある。
 状況を読めすぎるのって本当はよくないんだと思う。という事でこれから他人に合わせるのもほどほどにして、自分で日課を決める事にしようと思います。
 ルーティーンの事なんて二年の間何も出来なかった。歯医者の予約に始まり休みの過ごし方や将来の設計に関しても自分で決めて行きたいと思います。
8月31日ってこれからある意味記念日になる。自分がどう頑張っても果たせなかった事があるのはこの日の事だから。。。
でも自分の力ではどうする事も出来なかった。大きな時のうねりがきっと自分でその方向を選ばせていたのだと思う。反省はこれくらいにして、明日からはまた元気に過ごして行こうと思います、よ。